山室軍平
歳末に、街角で募金運動をしているのを見ると、山室軍平さんを思い出します。[地の塩]

山室軍平とハンセン病
... しかし、山室軍平は、1895年日本救世軍創設の年に「社会事業」という言葉を 使っているという。また、「社会事業部」も設置している。p116 もちろん、私も初めて聞いた話だ。 となると、彼が翻訳し造った言葉となるのだろうか。 とても興味深い。 ...

山室軍平(岡山市) 社会事業の先駆者
... 事業を手掛ける。ロングセラーの「平民の福音」など著書も多い。 ( より) * 平民之福音・ 山室軍平 ・近代日本キリスト教名著選集・第1期(キリスト教思想篇)(鈴木範久 日本図書センタ-) タグ: 山室軍平

阿倍光子と芹沢光治良
... 序文でそういう内容か充分わかりますね。 ところで、阿倍光子氏は本名「山室 光(ヤマムロ ミツ)」と書いてあります。 阿倍光子氏は、日本救世軍こと救世軍日本本営の創始者である山室軍平の息子さんと結婚しました。

ハンセン病とハンセン病情報について
... 081207(日)沖縄タイムス(1)戦時中南太平洋で旧日本軍ハンセン病の39人砲撃海上で虐殺実態判明林教授が文書発見.... 山室軍平とハンセン病 『足跡は消えてもハンセン病史上のキリスト者たち』森幹朗著を読んでいると ...

山室 軍平(やまむろ ぐんぺい、1872年9月1日 - 1940年3月13日)は、救世軍 日本救世軍の創始者。岡山県阿哲郡哲多町(現在の新見市)生まれ。石井十次、アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。
実家が貧しく少年時代養子に出される。14歳で上京、印刷工となり、暫くしてキリスト教に触れる。1889年、同志社大学神学部入学。赤貧の中勉学に励むが、1894年に健康を害し、また当時広まりつつあった自由主義神学への反発もあり同志社を去る。その後暫くは石井らとともに高梁教会などで伝道活動を行なっていた。
1895年より石井の勧めで救世軍に参加。大いに働き、日本最初の士官(牧師)、東洋で最初の中将、司令官となる。終生、社会事業、公娼廃止運動、純潔運動に身を捧げた。1923年、勲六等瑞宝章、1937年、救世軍より「創立者賞」を受ける。
山室軍平の詳細